水の話
 
不思議な酸性湖

暮らしを支えてきた猪苗代湖の水
 猪苗代湖の水は日本海と太平洋の両方へ流れています。そして農業用水、飲料用水、発電用水など様々な形で利用されてきました。会津若松といえば白虎隊の自刃が有名です。彼等は敵の目を逃れて飯盛山へたどり着くため、長さ150mの弁天洞門を全身びしょ濡れになりながらくぐり抜けました。
江戸時代の初期に猪苗代湖の西に広がる原野を開墾するため湖の西に戸ノ口堰(とのくちせき)用水がつくられました。その後、何度もの工事によって、会津若松まで水が引かれました。当初は飯盛山の北西を水路が通っていましたが、安定して水を供給するために、1832年(天保3年)、会津藩が延べ55,000人を動員し、3年の歳月をかけて飯盛山に水路としてのトンネルを掘削しました。それが弁天洞門です。この水は会津地方を潤した後、阿賀川をへて日本海へと注ぎます。
一方、福島県の郡山市周辺に水を供給するため、明治時代につくられたのが安積疎水(あさかそすい)です。この水は猪苗代湖の東側から取水しています。この時、猪苗代湖の水位を高くして安積疎水へ水を供給するために戸ノ口堰用水の取水口のところに十六橋(じゅうろっきょう)水門がつくられました。安積疎水の水は太平洋へと流れていきます。猪苗代湖の水は戸ノ口堰用水や安積疎水を通り、昔から多くの人々の暮らしを支えてきました。
弁天洞門
飯盛山の中腹をくり抜いてつくられた弁天洞門。戸ノ口堰用水を会津の町に安定して供給するために1832年に3年の歳月をかけて掘られた水路用のトンネルです。

戸ノ口堰用水
弁天洞門を通った戸ノ口堰用水の水は飯盛山を下り会津の人々の暮らしを潤して日本海へと流れていきます。

農業用水

十六橋水門
十六橋水門は1880年(明治13年)、猪苗代湖の水位調整のため、オランダ人土木技師ファン・ドールンの設計・指導のもとで建設されました。猪苗代湖の水位が1cm上がるだけで水量は100万トン増加します。
安積疎水
水に乏しかった猪苗代湖の東側の安積地方(現在の郡山市周辺)へ猪苗代湖から農業用水を供給するための安積疎水は1882年(明治15年)に完成しました。以来、この地方の農業生産は飛躍的に伸びました。


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