水の話
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貯水量日本一の灌漑用ため池・入鹿池

舟運にも利用された農業用水路
 入鹿池の築造によって約6,800石の新田が開墾されました。新田の開墾が進むにつれ、入鹿池の水だけでは足りなくなってきます。そこで木曽川から直接水を引く用水がつくられました。入鹿池の完成から15年後の慶安元年(1648年)、木津(こっつ)用水がつくられました。さらに木津用水の水を分ける新木津用水も寛文4年(1664年)につくられました。
新たに用水がつくられれば新田の開発が行われ、新田開発が進めばさらに水が必要となってきます。こうしていくつもの用水が整備され、新田がつくられ、それまで不毛の大地とされてきた濃尾平野の一角は豊かな大地へと変わっていったのです。
明治になってからも開墾は続きました。新たな開墾が進めば水は不足してきます。用水路の改修などが行われました。木曽川から取り入れた木津用水は、一部が新木津用水となって名古屋の北を流れる庄内川へと注いでいます。庄内川からは名古屋の中心部を流れる堀川へ水を供給する黒川がつくられました。新木津用水も農業用の水路ですが、これと黒川を利用すれば犬山から名古屋まで舟運が可能となります。用水の改修は新田開発のためだけでなく、舟運にも利用され、名古屋の発展にも役立ちました。

木津用水
入鹿池から流れてきた五条川(写真中央右手)と木曽川から取水された木津用水(写真正面)が途中で交差し下流の田畑を潤しています。
余水吐
入鹿池の余水吐(よすいばき)(右手放水路)。下流で五条川に合流します。普段はオーバーフローした池の水しか流れません。


水の有効利用と入鹿池
 入鹿池は水田の灌漑用ため池で、池の水が使われるのは5月から9月までです。それ以外の期間は水田に使われることはなく水を溜めるのですが、水が十分に確保できると予測されるときは、木曽川の水を愛知県の知多半島まで供給している愛知用水へ流して有効利用できるようになりました。いまでは入鹿池の水はパイプラインを使い各水受益地へ供給するようになっていますが、それまでは五条川に流してそこから用水路へ供給していました。いまも一部は五条川を使い配水しています。
パイプラインの整備によって入鹿池から目的地までの途中で生活排水などが混入することなく、きれいな水をそのまま配水できるようになりました。入鹿池のワカサギ釣りは有名です。最近は外来種の魚もいますが、池や流入河川にはシラハエ、コイ、フナ、ナマズ、ネコギギ、カジカなどもいます。入鹿池の水源の一つになっている五条川の上流には両生類のオオサンショウウオやハッチョウトンボも生息し、豊かな自然が残されています。それでも社会の変化によって、平成になってから入鹿池で淡水赤潮やアオコが発生したこともありました。
入鹿池の水を守るため、流入河川の河口にヨシを植えるなどして水質と生態系の保存のため平成15年頃からビオトープの整備もすすめられています。
築造されてから400年近い歴史を誇る入鹿池によって、かつては不毛の荒野であった土地が広大な水田として開発されてきました。いま、農業構造の変化で水田は減少して、入鹿池近辺への水の供給量も減りましたが、余った水は長年水不足で苦しんできた知多半島へ導かれるようになりました。そして周辺に豊かな自然環境を残した広大な池はハイキング、釣りなどレジャーとしても活用されています。入鹿池の水はこれからも多くの人々の生活を支え、潤いを与えてくれることでしょう。

ビオトープ
入鹿池に流入する河川の河口につくられたビオトープ。ヨシを植えて水質の浄化に役立てています。

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