水の話
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人の手によって守られてきた美しい風景

カルデラの中を流れる黒川と白川

 阿蘇谷には黒川が、南郷谷には白川が流れています。黒川は外輪山の西の切れ目の辺りで白川に合流します。黒川といっても、水が黒いわけではありません。カルデラが湖であった何万年もの昔、地下から湧き出る熱水やガスなどに含まれていた鉄分がバクテリアによって酸化し湖底に堆積しました。この鉄分を含んだ土は阿蘇黄土と呼ばれています。阿蘇黄土(あそおうど)は熱を加えることで赤くなります。そこで古墳時代から赤い顔料(ベンガラ)として利用されてきました。最近では脱臭作用があり、しかも有機物も含まれているところから家畜の飼料に混ぜて使用されています。これを混ぜた飼料を家畜に与えると排泄物の匂いが少なくなります。
阿蘇黄土が採掘される辺りの地名は赤水です。川の水を採取して温めると鉄分が含まれているので赤く変色するからです。周辺の岩も鉄分のせいで他の場所に比べて黒っぽいように思われます。こうしたことが、黒川と呼ばれるようになった理由の一つかもしれません。
一方の白川も、水が白いわけではありません。白いというのは美しいことを意味するともいわれています。つまり、白川とは美しい水の川という意味ではないかという説もあります。こうした阿蘇黄土の産出や水の美しさは、いずれも火山による恩恵です。


白川に合流する黒川
外輪山の西の端で、写真左上から右下へと流れる白川に合流する黒川。合流後は白川となって熊本市内へと流れていきます。

黒川 白川
阿蘇谷の中を流れる黒川(左)と南郷谷の中を流れる白川(右)。どちらも美しい水です。黒いとか白いというのは水の色ではなく、岩の色からきているのかもしれません。


火山が生んだ石橋の文化

 柔らかな弧を描いて川の両岸を結ぶ石造りのアーチ橋。日本全国に1,800もの石橋があるといわれています。石橋の大半は江戸時代の後期から昭和10年代までにつくられたもので、熊本、大分、宮崎などの南九州に集中しています。
石を下から順に積み上げていくだけではアーチ状にする事はできません。そこで石を積み上げる前に、アーチ状の木を組み立てておきます。組み立てた木枠の上へ台形に切った石を両岸から順に積み上げていきます。最後に橋の頂点となるところへ「要石」をはめ込み、組み立てておいた木枠を取り除けば、アーチ状の部分ができあがります。アーチ状の石組みは、石同士が支え合うために崩れることはありません。後は人が通ることができる高さにまで、アーチ状の両端から石を積み上げ、上を平らにすれば完成です。
なぜ南九州にこうした石橋が多く残されているのでしょうか。その理由の一つとして考えられるのが、材料となる石の確保です。石橋はできる限り軽くて丈夫な石の方がつくりやすくなります。南九州には阿蘇山などの噴火によってできた比較的加工しやすい溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)が容易に手に入るといったこともあったようです。溶結凝灰岩は火砕流の堆積物が高温と堆積物自身の重さでくっついて岩になったものです。この時、堆積層の上部は圧力が小さいためあまり丈夫にはなりませんが、厚い層の下部では丈夫な岩が形成されます。石橋がたくさんつくられたことも、火山の恩恵の一つです。


銭瓶橋(ぜにがめ)
大正時代につくられた石橋の「銭瓶橋(ぜにがめ)」。現在も農道として使われています。

黒川橋
白川に合流する辺りの黒川に明治33年に架けられた石橋「黒川橋」。切り立った両岸には溶岩でつくられた柱状節理も見られます。


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