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水の話
 
五穀にも数えられない蕎麦が大切にされてきた理由
古事記では五穀を稲、粟、小豆、麦、大豆としていますが、他の書物や地域では、稗、黍、いも類、大根、胡麻などが含まれることもあります。
つまり五穀とはその地域や時代での重要な食料を指していたようです。
ところが、蕎麦だけは古くから食べられているにもかかわらず、なぜか五穀には加えられていないのです。

蕎麦の産地は厳しい気候条件で痩せた土地
 信州には「蕎麦の自慢はお里が知れる」という諺があります。米を作ることのできない寒冷で、痩せた土地で蕎麦が作られてきたからです。蕎麦の産地として知られるところの多くは、火山灰で覆われ、気温の低い土地です。しかし、痩せた土地でなければ育たないというのではなく、痩せた土地でも育つということです。もちろん、全くの痩せ地で肥料を与えなければ育つことはできません。ただし、旱魃(かんばつ)にはかなり強い植物です。中国南西部の高原地帯が原産地だということからも、気温の低い土地の方が栽培に向いていますが、霜や風には弱い作物です。一方、種を蒔いてから60〜70日ほどの短期間で収穫できるという特性をもっています。また、蕎麦は他の植物の発芽と育成を阻害する成分を根から出すため、他の作物を植える前後に栽培することによって、除草効果も期待できます。
 かつて日本各地で行なわれていた焼き畑農業では、最初に蕎麦を植えて雑草の発生を抑える役目をさせていました。また、近世になると、凶作に備えて穀物を貯蔵しておく郷蔵が各地に作られましたが、そこに貯蔵されていたものは粟、稗、大豆、麦、蕎麦などでした。これらは、飢饉のときに村人の食料としたばかりでなく、例えば稗は30〜40年貯蔵しておいたものでも発芽するので、翌年の栽培にまわすことができるためでした。そして蕎麦は短期間で収穫できるので、いざというときにはすぐに種を蒔いて食料とすることもできたのです。
 蕎麦は、主食として栽培されるというよりは、水田耕作のできない厳しい土地で、主食を補う食料といった面が強かったようです。


赤の花 赤の実 蕎麦の花は白いと思われていますが、原産地の中国雲南地方には白、緑、赤の花をつける栽培種があります。日本でも赤い花を咲かせる品種の蕎麦が「高原ルビー」の名称で作られています(左上)。また、普通の蕎麦は実が熟すときに緑色になりますが、真っ赤になる蕎麦も作られています(右上)。

蕎麦畑

修験者や忍者にとっても大切な食材
 蕎麦で有名な地域は全国にたくさんあります。その中の一つに信州の戸隠村があります。ここではかつて麻と蕎麦の二毛作が行なわれていました。麻は麻布を織るための原料です。麻は5月のはじめに種を蒔けば、8月の上旬には収穫できます。そのすぐ後に蕎麦を蒔くのです。夏が短く稲作に不向きな山国では、麻は現金収入として、蕎麦は食料として農家の重要な作物であったのです。
 戸隠を有名にしているのが平安時代に開山され、修験者の山として栄えた戸隠神社です。戸隠神社は比叡山の裏庭とまで呼ばれ、全国から多くの修験者が集まりました。かれらが修行のため山に入るときに携行したのが蕎麦でした。他の穀物のように、煮る必要がなく、水さえあればそのまま食べられる上、栄養価も高く、修行には最適の食料であったのです。しかも蕎麦は五穀に含まれておらず、年貢として取り立てられることもありませんでした。当然、密教の修行で五穀断ちをするときも、蕎麦は食べることが許されていました。そこで、盛んに蕎麦がつくられるようになったともいわれています。
戸隠は戸隠忍者の里でもありました。特異で急峻な山容の戸隠連峰が、修験道や忍者を生み出したのでしょう。忍者の非常食にも、蕎麦は重要な食材となっていました。

戸隠村1
背後に険しい山を控え、厳しい気候の戸隠村は、必ずしも水で苦労した土地とはいえませんが、水田耕作には長年不向きな土地でした。
戸隠村2

畑
種池 念仏池
戸隠村には小さな池が数多くあります。いずれもきれいな水をたたえています。左下は種池。右下は念仏池。


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