水の話
メニュー1 2 3 4 5 6次のページ
 
清流ルネッサンスで清流を取り戻す試み

矢作川方式と呼ばれる流域管理方式
 土砂採掘による川の汚れは徐々に少なくなっていきましたが、次に問題となったのが上流部での土地開発による土砂の流出でした。そんな時に起きたのが石油ショックです。開発にはブレーキがかかりましたが、土地開発に頼らなければならない上流部の人々の暮らしもありました。しかし下流部では流出した土砂による深刻な漁業被害がありました。
矢作川の下流と上流では、川を汚す人と汚れた水で被害を受ける人といった、一種の対立感情があったのですが、対立しているだけでは問題の解決につながりません。そこで「流域は一つ、運命共同体」を合い言葉に上流と下流に暮らす人々の交流が始まりました。
昭和53年(1978年)、矢水協は矢作川最上流部の長野県根羽村の子ども達を下流の一色町の潮干狩りに招待する一方、三河湾で獲れた魚介類を上流部の市町村へ直送し朝市を開くなどの活動を始めました。さらに山村と漁村の交流を行ないながら、矢作川をきれいにするためのパトロールや勉強会などを展開していきました。
こうした活動が認められ、愛知県は矢作川流域での大規模開発を行なうには「矢水協との協議」が条件に加えられました。それまでは行政と開発業者の間だけで開発申請・許可が行われていましたが、こうした第三者の協議を必要とする流域管理システムはいつしか矢作川方式と呼ばれるようになり、全国で採用されていくことになりました。そして矢作川方式は国連環境計画等の河川、湖沼の流域管理に関するケーススタディーでも取り上げられています。

潮干狩り
環境教育の一環として同じ川の恩恵を受けていることをお互いに理解しようと、上流のこどもたちを潮干狩りに招待して上下流の交流が行われています。(写真提供:矢作川沿岸水質保全対策協議会)

ろ過装置を入れた池
開発行為によって泥水が川へ流れ込まないよう、工事現場には竹ソダで作ったろ過装置を入れた池が作られます。雨の時など斜面を流れる水はこの池に集まるようにして泥が取り除かれます。(写真提供:矢作川沿岸水質保全対策協議会)


30年以上にわたり小学生も毎日欠かさず水質検査
 川を守る団体や組織は増えていきました。矢作川を研究するさまざまな研究機関もつくられました。豊田市立西広瀬小学校の児童会は昭和51年(1976年)以来、30年以上にわたり1日も休まず学校の横を流れる矢作川と支流である飯野川の水質検査を続けています。子どもたちが集めたデータは、矢作川を知る上で貴重な財産になっています。
こうして多くの人たちの努力によって、今から40年前は濁りのために白い川といわれていた矢作川は見事に甦り、澄んだ川面は緑の木々や青空に浮かぶ雲を映しています。
ところがそんな矢作川に再び危機が訪れています。大雨が降るたびにたくさんの流木が流れ込むようになったのです。平成12年(2000年)に東海地方を襲った東海豪雨の時には一夜にして50年分の土砂や流木が上流にある矢作ダムに流れ込むということもありました。


矢作川をきれいにする会
矢作川河口の一色町にある漁業組合の女性たちで作った「矢作川をきれいにする会」は昭和48年以来、パトロールを続けています。(写真提供:矢作川沿岸水質保全対策協議会)

ごみ拾い
国土交通省が主催して、子どもたちが美しい矢作川を守るためのごみ拾いなどを行っています。(写真提供:矢作川沿岸水質保全対策協議会)


甦る川の風景
 河川の水質管理で大切なことは川を汚さないというだけではなく、住民や水を利用している人達の様々なニーズに応えていくことです。国土交通省は平成17年(2005年)に「今後の河川水質管理の指標について(案)」を発表しています。その指標はBODだけでなく「人と河川の豊かなふれあいの確保」「豊かな生態系の確保」「利用し易い水質の確保」「下流域や滞留水域に影響の少ない水質の確保」という4つの河川水質管理の視点別に指標のランクを設定しています。
水をきれいにすることも大切ですが、美しい「川の風景」を取り戻すことも河川の水質管理では重要です。一方で治水対策も行わなければなりません。洪水対策を徹底的に行えば川の自然は損なわれてしまいます。ところが川を自然のままの状態にすれば、洪水などの災害の危険性が高まります。
豊田市内を流れる矢作川に古鼠(ふっそ)水辺公園があります。市街地から少し上流に当たる場所で、完成したのは平成4年(1992年)です。ここで生物の生息環境を大事にした自然河川工法を取り入れた護岸工事が全国に先駆けて行われました。治水工事で行われるものとしては護岸工事、川床の浚渫、水の勢いを弱めたり流れの向きを変えることによって堤防や護岸が浸食されるのを防ぐ水制工などがあります。水制工はコンクリートブロックを川の中へ並べる方法がとられていますが、日本の伝統的工法では蛇籠(じゃかご)や聖牛(ひじりうし)などが使われていました。矢作川ではコンクリートブロックの代わりに巨石が使われました。
さらに水辺空間も復元管理しようと岸辺に密生していた竹林を伐採するなど河畔林の復元にも取り組んでいます。


メニュー1 2 3 4 5 6次のページ