水の話
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暮らしとともに流れる川

川の上につくられた工場

 矢作川の河口近くの左岸にある西尾市は三河の小京都とも呼ばれ、城下町としての古い歴史を持っています。かつては矢作川を利用した舟運も盛んで江戸時代の終わり頃には100艘以上の船が上り下りしていたといわれます。上りの船が運んだものは塩や海産物や、米、豆といった農作物で、下りの船は薪炭(しんたん)、木材など山の産物を運びました。
明治時代になり鉄道が整備されるようになるまでは、舟運が大量輸送の中心でした。陸上輸送が整備されるに従い舟運は廃れていきます。ところが廃船が意外なものに利用されました。ガラ紡の工場です。
ガラ紡とは糸を紡ぐ紡織機のことですが、糸を紡ぐ時にガラガラと音を立てるところから付けられた名前です。この紡織機の動力として使われたのが水車です。使われなくなった船を係留し、その中に紡織機を据え付け、両舷に水車を取り付けて動力にしたのです。西尾市では一時期60艘以上のガラ紡船が操業していました。しかし、水車を直接の動力としたガラ紡船の時代は長くは続きませんでした。
明治30年(1897年)に、矢作川の支流・巴川のさらに支流である郡界川に岡崎電灯(現中部電力)が滝の落差を利用して水路式の出力50kWの水力発電所を作り、岡崎方面に電灯を灯しました。現在も出力140kWを発電し、中部電力で現存する最古で最小の岩津発電所として活躍しています。
電力が徐々に普及するに従いガラ紡船は姿を消して、陸上に工場が作られていきました。


岩津発電所   川
船
中部電力で現存する一番古くて小さい岩津発電所。大正15年に落雷で焼失しましたが、昭和2年に改修されいまも現役として活躍しています。 かつて繊維産業は日本の発展に大きく貢献しました。矢作川に水力発電所が作られるまでは、川に浮かべた船に紡織機を乗せて水車を取り付け動力にしていました(写真下)。
いまはガラ紡船に代わり、田んぼの向こうに高圧電線が見えます(写真上)。

写真下 提供:西尾市教育委員会


2つの源流地点

 どんな川にも源流地点があり、普通は1カ所に決められています。もちろん川にはいくつもの支流があり、全ての支流にも源流地点がありますが、一般には、本流の源流地点を指しています。
川を遡っていくと、いくつもの支流が流れ込んできます。そのうちのどれを本流とするのかといった明確な定義は、必ずしもあるわけではないようです。一般的に本流とされる流れは河口部分から源流地点まで同一の河川名が付けられています。それらの川の多くは一番長い流路となっています。
矢作川を河口から辿っていくと、上流域で何本もの川に分かれています。地図上でたどっていくと、いつしか矢作川の名前は消えて、別の名前が使われています。どの川を矢作川の本流にするのかで源流地点も違ってくるはずです。それらの川のうちの1本を辿ると、長野県下伊那郡の平谷村と阿智村(旧浪合村)との境に聳える標高1,908mの大川入山の西側へ至ります。一方の川を遡ると長野県下伊那郡の根羽村と愛知県北設楽郡(きたしだら)豊根村との境にある標高1,415mの茶臼山へと至ります。どちらの川も矢作川の源流地点だとされています。
大川入山から流れ出る川は河口からの距離が最も長いことを本流であることの根拠にしています。また、旧河川法で矢作川の源流地と明記され、そのまま源流地点だとしている川もあります。矢作川には数多くの中小の支流があり、流域面積の約90%が山間部です。それらの山々からの水を集めていることを考えたならば、源流地点はともかく、全ての支流が源流部だといえるでしょう。矢作川の源流地域は年間降水量が多いという特徴があります。そして豊かな森が広がっています。森に降った雨や雪は多くの支流によって矢作川の豊かな流れを育むのです。


大川入山 茶臼山
矢作川には源流地点とされる場所が大川入山(左)と茶臼山(右)の2カ所にあります。どちらの源流も清冽な水が流れています。(写真提供:矢作川沿岸水質保全対策協議会)


木曽山脈
矢作川の水源地の一つ大川入山。この山は木曽山脈(中央アルプス)の最南端にあたります。


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