水の話
 
海と川によって異なる舟の形

流れの速さによっても異なる舟の形
 川舟の形はそれぞれの川によって異なります。琵琶湖は川ではありませんが、周りには多くの川や水路があり基本的には川舟と同じ構造だと考えることができます。淀川には三十石舟という乗合舟が京都・大阪間約30キロを結んで人を運んでいました。この三十石舟の乗客に乱暴な言葉を投げつけて酒食を売っていた「くらわんか舟」と呼ばれる舟がありました。これらの舟も、琵琶湖やその周辺で使われていた舟と同じような形をしています。一般に多くの川舟の先端は箱を載せた様な形や戸板を立てたような形をしています。しかし、琵琶湖は湖とはいえ、ある程度の波があるため、へ先で波を切ることができるように尖っています。しかし、舟底は全体的に平らになっています。
一方、長良川の舟も舟底は平らですが、前後に反り返っています。船首部分が反り上がり水面の上に出ている方が、川で舟を操るときに楽になるからです。自動車による運搬が行なわれる以前は、丸太や薪にする細い木などを直接川に流し、途中で集めて筏に組んだり、いったん川から引き上げてまとめてから舟などで運搬していました。川から引き上げられず、そのまま流れていく小枝などもあったようです。舟底に反りがあると、そうしたものが上流から流れてきても、船首部分に引っかかることがありません。流れの速い木曾川の舟はさらに前後の反りがきつくなっています。この方が、流れの影響を受けにくいためです。ただ、反りが緩やかだと、竿で漕いだときに一度により多くの距離を進めることができますが、反りがきついと一度に進む距離があまり多くはありません。

箱の形をしている田んぼの舟
 川や湖で使われる舟の底は基本的にほぼ平らな形状ですが、舟によっては緩やかなU字型になっているものから、丸みがきつくなっているものまであります。櫓で舟を漕ぐと舟は左右に揺れます。このとき、舟底が平だと舟は水の抵抗を受けて安定し、揺れは少なくなりますが進む速度は遅くなります。逆に舟底に丸みがあると揺れは大きくなりますが、速度は速くなってきます。琵琶湖の丸子舟のように帆で風を受けて進む舟は、風向きによっては舟が左右のどちらかに傾いた状態となります。このときも舟底に丸みのあった方が水の抵抗が少なくスピードが出ます。安定性とスピードのどちらを優先するのかによって舟底の形状が違ってくるのです。
田舟の場合は、積んだ稲などが濡れないように安定性が重視されます。しかも、舟の側面も水面に対し垂直に近くなっています。舟べりを上に開くようにしてに広げると荷をたくさん積めるようにはなりますが、バランスが悪くなって左右に揺れやすくなり、その分積み荷が濡れやすくなってしまいます。そのため、田舟は一般的に箱のような形となっていいます。ただ、田舟といっても農業に使うだけでなく、地域によっては漁で使われる場合もありました。
森鴎外の小説で知られている高瀬舟は、京都の高瀬川で使われた舟だと思われています。高瀬川は水深が浅く幅も狭い川です。人が乗って漕ぐのではなく、舟に縄をつけ、岸辺から引いていました。そのため、小型で平らな舟底を持ち、軽量な舟となっています。実は高瀬舟という名の舟は各地で使われていました。この場合の高瀬とは、瀬の高い場所、つまり浅瀬でも扱やすい舟といったところからつけられたとも言われています。京都の高瀬川以外にも、普段は水深が40~50センチしかなく、舟底がつかえてしまうような川で舟運が行なわれていた地域も各地にあったようです。多少の難儀をしても、人が担いだり牛馬の背中に乗せるよりも、舟の方が一度に多くの荷を運ぶことができたからです。日本には大小の川がいくつも流れ、大量の荷物を運ぶときには、道以上に利用価値があったのです。

森林
田舟は、たくさんの稲や野菜などを運搬します。スピードよりも安定性を重視するためリヤカーのような箱型をしています。地域によっては、田舟を使って漁を行なうところもあります。

母屋 軒先 揖斐川、長良川、木曾川の三川に囲まれた輪中地域では、洪水時に備えて屋敷全体を石垣で高くして家が建てられています。さらに避難場所として、母屋よりも高くした水屋がつくられています。輪中では舟は水田耕作と洪水時の緊急用として常備されていました。いまも農家の軒先やガレージの天井などには田舟が「上げ舟」として備えられています。これらの舟は農作業でも利用されています。


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