水の話
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瀬戸内海の再生

干拓によってつくられた湖
 瀬戸内海の中でも、古くから干拓がおこなわれたことで知られているのが岡山県南部に位置する児島湾です。今では締切堤防を境にして東を児島湾、西を児島湖と呼んでいますが、もともとは一つの海でした。児島半島も、かつては瀬戸内海に浮かぶ島でした。現在、岡山平野に点在する小高い丘の多くもそれぞれが島でした。
かつての児島湾のあった場所は、何本もの川が流入し、堆積した土砂によって干潟が発達していました。規模の小さな干拓は奈良時代からすでにおこなわれていたようです。そして戦国時代頃から本格的な干拓が始まり、関ヶ原の戦い後の元和4年(1618年)に児島が陸続きの半島となりました。江戸時代に入ってからも干拓は続きました。
明治時代になってからもさらに干拓は続きます。干拓の目的は農地の確保でした。農地を広げれば、当然、農業用水が必要になってきます。ところが十分な水が確保しにくくなり、塩害もあったため、昭和34年(1959年)に締切堤防を完成させ、児島湾の一部が湖面積10.9km2、平均水深2.1mの児島湖となりました。岡山平野の耕地面積のうち、8割が干拓によってつくられたものです。また、岡山市、倉敷市などの市街地のうち、200km2が干拓によってつくられたものです。

締切堤防
締切堤防を境にして右側が児島湾、左側が児島湖。児島湖の長期ビジョンでは平成37年頃を達成時期としてCODを5mg/L以下にするとしています。

岡山県庁から望む市街地
現在の岡山平野のうち多くはかつて児島湾でした。岡山県庁から望む市街地も、江戸時代以前は海の一部であったようです。


湖沼法で指定湖沼に指定
 児島湖が誕生した頃から日本の高度経済成長が始まりました。そして周辺人口の増加と産業活動などにより児島湖の水質が悪化していきました。
昭和59年(1984年)に湖沼水質保全特別措置法(湖沼法)が制定されると琵琶湖、霞ヶ浦、印旛沼、手賀沼と共に、児島湖も指定湖沼に指定されました。平成22年度現在の児島湖の水質はCOD8.0mg/L、窒素1.2mg/L、リン0.19mg/Lとなっています。これは昭和63年に比べ、約40%の減少となっています。
平成27年度にはCOD7.5mg/L、窒素1.1mg/L、リン0.17mg/Lを目標としています。



新しい児島湖を創出
 岡山県はさらに長期ビジョンとして平成37年度までにCOD5mg/L以下にまで改善するとしています。長期ビジョンを達成するため、水質保全の方策として「下水道等の早期整備と高度処理の推進、下水道処理施設への接続促進、くみ取り、単独処理浄化槽の早期廃止と合併処理浄化槽、高度合併処理浄化槽への転換」を挙げています。
もう一つ大事なことは児島湖の望ましい将来像として「訪れたくなる児島湖」「遊びたくなる児島湖」「学べる児島湖」といったことも掲げていることです。
児島湖が誕生したころから全国の河川や湖沼、海洋の水質が悪化し始めました。人造湖として生まれた児島湖の場合、かつてのような美しい姿を取り戻すとは必ずしも言えない面があります。新しい児島湖を創出するという方が適切かもしれません。
児島湖はもともと農業用水を確保するためにつくられた人造湖です。しかし現在では農業用の水を使用しない非灌漑期にも児島湖の水質保全に役立てようと河川からきれいな水を導入したり、自然の浄化機能を活用するために湖岸のヨシ原の管理をしたり、あるいは流入河川や用排水路の改修時には、動植物が生育しやすいような多自然型川づくりに努めるとしています。さらに、フナ、ウナギ等の放流事業、産卵・育成の場となる水生植物帯の適正な管理や、清掃活動の一層の推進もおこなっていくとしています。岡山県では関係各部署、流域の市町村、市民、事業者が連携し、一体となり、新しい児島湖創出の対策を進めています。
健全な水環境を創り出していくには、こうした水質保全と水環境の再生がますます重要な取り組みとなっています。

児島湖岸
児島湖が昭和34年に完成したことによって、干拓地は水不足や塩害の被害から解放されました。


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