水の話
 
江戸前は今も生きている

昭和30年代から変化をはじめた東京湾
 アオギスが東京湾から急速に姿を消していったのは昭和40年代のことでした。東京湾で最後に確認された記録が残っているのは昭和51年です。
なぜ姿を消してしまったのかいくつかの理由が考えられます。昭和30年代、40年代は日本各地で工場廃水による公害が問題となりました。アオギスのエサとなるスナイソメはきれいな砂地でしか獲れません。さらに干潟も次々と埋め立てられて消滅していきました。
干潟の消滅は二枚貝などにも影響を与えます。ハマグリも一時は東京湾から絶滅したのではないかといわれていました。このほかの魚介類ではマイワシ、クロダイが昭和10年代を漁獲量のピークに徐々に減り続け、昭和30年代から40年代にかけて大幅に減少しています。イシガレイ、トビヌメリ(ネズッポ)、マアナゴ、シャコなどは昔からたくさん獲れていましたが、近年になってイシガレイやシャコが減少傾向にあるようです。理由として海底環境の悪化が考えられています。
東京湾の水質が大きく悪化したのは昭和30年代から40年代です。それで一挙に魚介類が減少しました。一方、このころから汚水処理施設の整備が進み、有機物の流入量は減少していきます。ところが水質は一向に改善されませんでした。理由は窒素、リンの流入量が減らなかったからです。窒素、リンは海中の植物プランクトンの栄養となります。植物プランクトンが死んで海底に沈み分解されるときに酸素を消費します。しかも植物プランクトンが増え過ぎると、酸素がたくさん消費され、海底は貧酸素、あるいは無酸素状態となってしまいます。この水塊が海面に上昇すると青潮が発生します。


干潟とともに大切なアシ、アマモの生育場
 東京湾の流域人口は2,600万人とされています。一人が一日に排出する窒素やリンの量が1g増えるだけでも、東京湾全体としては26tも増えてしまいます。人の営みのわずかな変化も、自然に大きな影響を与えることになるのです。
海自身が持っている浄化機能の中で、干潟が果たしている役割は知られるようになってきました。しかし自然の浄化機能は干潟だけではありません。本来は河口部に流れの静かなアシ原があり、ここで水中の浮遊物質を捉え、沈殿させ、アシが有機物と窒素、リンを吸収します。アシ原である程度浄化された水は干潟へ流入します。干潟は遠浅のため、水底にまで日光が届きます。そのため、窒素やリンは植物プランクトンの成長に使われ、二枚貝のエサとなります。二枚貝は水鳥のエサとなって干潟の外へ搬出されます。干潟で吸収されずに残った余分の栄養分は、さらに干潟の先にある藻場といわれるアマモの群落で吸収されます。藻場は余分な栄養分を吸収するだけではありません。魚介類の産卵場になり、小魚にとっては天敵から身を隠す場所となります。
このように海の浄化機能にとってはアシ原、干潟、藻場がセットとなることが理想です。海が持っていた浄化機能が弱くなったのは干潟の減少だけではなく、アシ原や藻場の減少も大きく影響しています。
藻場が減少した理由は干潟の埋め立て以外に船のスクリューに絡み付くということで人為的に刈り取られたといったこともありました。いま、干潟の再生だけでなく、藻場の復活も試みられようとしています。

アシ原
干潟とともに水の浄化をするのがアシ原です。江戸城がつくられた当時は、盤州干潟と同じように城の前にはアシ原が広がっていたとされています。

アマモ
水の浄化機能として見直されているのがアマモです。藻場とも呼ばれ、各地で藻場復活の動きが見られます。
チャガラ
キヌバリ
チャガラはハゼの仲間で東京湾ではよく見ることができる魚です(上)。同じくハゼの仲間のキヌバリは浅い岩礁のある場所や潮溜まりなどで見られます(下)。このような小型の魚にとってアマモは大切な生育場所です。

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