水の話
 
江戸前は今も生きている
砂の上に米粒よりも少し大き目の砂団子が無数に散らばっています。小さな穴もあちらこちらで見られます。待つこと数分、穴の中から現れたのはカニでした。ここは三番瀬干潟です。江戸川と荒川に挟まれた葛西臨海水族園につくられた人工の渚でも、かつて江戸前で当たり前に見ることができた生物が戻ってきています。

東京湾から姿を消していく干潟
 かつては東京湾にも多くの干潟がありました。とくに房総半島の東京湾沿いには多くの干潟がありました。約5,000年前の東京湾は、現在よりも5mほど海面が上昇していたといわれています。その後の地球規模の気候変動によって2,000~3,000年前は、逆に2mほど海面が低くなっていたといわれています。
東京湾は海水面の高さが変化していただけではありません。海面が高い時には海岸線の崖を削り、河川が上流から大量の土砂を河口へと運び広大なデルタを形成していきました。大量の土砂を運んだ河川の一つが利根川でした。昔の東京湾には利根川、荒川といった大河川が江戸の町の近くを流れていました。いまでは銚子で海に注ぐ利根川ですが、江戸時代の初期に幕府によって治水対策として流路が付け替えられたのです。
いまでも干潮時になると沖合1kmほどまで潮が引きます。しかしかつては沖合4~5kmくらいまでが海面から姿を現していたといいます。三番瀬は泥干潟ではなく砂干潟です。そして東京湾の波の作用が強いため、海面から現れた干潟の表面にはきれいな縞模様がつくられています。魚介類も豊富でスズキ、イシガレイ、シャコはもちろん、ワタリガニ(ガザミ)、コウイカ、シバエビ、クルマエビ、マアナゴ、サヨリなどがとれていました。もちろんアサクサノリの養殖も盛んでした。また塩田もつくられていました。

船溜まり
荒川の河口ではスズキやボラが釣れます。河口近くの運河にある船溜まりには釣り船も繋留されていました。

三番瀬干潟
きれいな縞模様を描き出す三番瀬干潟は表面が固く、足を踏み入れてもぬかるむことはありません。


江戸前の風物詩であった脚立釣り
 東京湾では絶滅したのではないかといわれている魚の代表がアオギスです。アオギスはキスの仲間で、かつては東京湾以外にも伊勢湾、和歌浦(和歌山県)、吉野川河口(徳島県)、別府湾・豊前海(大分県)、北九州市沿岸などに生息していましたが、現在では豊前海周辺でしか生息が確認されておりません。非常に引きが強く、遊魚として釣り人に人気のあった魚で遊魚として人気を集め出したのは江戸時代です。
アオギスは警戒心の強い魚で船が近付いただけで逃げてしまいます。アオギスが生息するのは干潟の遠浅になっている場所です。そこで船を使わずに釣りをする方法として考案されたのが「脚立釣り」で江戸末期のころとされています。その後、脚立釣りは東京湾の風物詩として長く親しまれていました。
脚立釣りはその名のように遠浅の海に脚立を立て、その上に座って釣りを楽しむ方法です。アオギス釣りが特に盛んであったのは東京に隣接する千葉県の浦安でした。東京から近く、広大な干潟が広がっていたからです。

アオギス
東京湾から姿を消したアオギス。葛西臨海水族園では(財)海洋生物研究所が福岡産を繁殖させたものを譲り受け、飼育・展示しています。
脚立釣り
日がな一日脚立の上に座りアオギスを釣る光景は昭和40年頃まで東京湾の風物詩でした。
(写真提供:宇田川三郎氏)
(協力:浦安市郷土博物館)

三番瀬干潟
三番瀬干潟は東京湾の最奥部に残された貴重な干潟です。ここには89種の鳥類、302種の動植物プランクトン、55種のカニやゴカイなどの底生成物、101種の魚類が確認されています。


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