フジクリーン工業株式会社
水の話 藍染めpart1
水と生きる
「神の宿る色」を甦えらせる

 昔から日本人とは馴染みの深い藍。徳島県は藍作りが最も盛んな地です。当然、藍染の技法も連錦と守り続けられてきたと思われがちですが、実は伝統的藍染技法が数10年にわたり、途断えていた時期があるのです。明治36年、合成染料(化学藍)が入ってきたためです。戦後、伝統的藍染技法の復活に取り組み、見事に完成させた人がいます。
藍染師
五代目 古庄理一郎さん
大正5年藍染業を営む家に生まれ、旧制阿波中学校卒業後、家業に専念。戦前、中国の大連、上海などで染色の指導にあたる。昭和47年天然藍染による注染法完成。52年には天然藍染(灰汁醗酵建て)による小紋を完成。天然藍染の研究と普及に尽くし、徳島県指定無形文化財保持者、現代の名工(労働省)、勲六等単光旭日章などを受賞している。

100%天然であってこそ本物の藍
「藍染めという以上、100%天然の藍を使わなければ邪道です。藍の原料となるすくも、染液を作るための木灰、すべてを天然もんでそろえようと思っても、たしかに絶対量は少なく、それらを使うと大変な手間と費用がかかります。そやけど天然もんを100%つこうても藍、合成染料をつこうても藍。これでは藍染を買うた人が一番馬鹿を見るんとちがいますか」

 言葉の内容には厳しいものがありますが、口調はおだやかです。しかも合成染料を使うなといっているわけではありません。「本もの」も「にせもの」も、同じ「藍染」として売られていることが問題だというのです。

「合成染料を使うこと自体が悪いわけではありません。ただ、そのことをはっきり表示すべきです」

 藍染は根強い人気を持っています。買い求める人は、ほとんどが「本物」だと信じて購入します。しかし、その多くは多かれ少なかれ合成染料も使われています。古庄さんは、どこそこの「産地の藍染」は本物かどうかとよく人にたずねられます。

「そこで本物は作られておりません」とは決して言いません。「気いつけてお求めなさい」との助言にとどめています。もしも、「そこのは本物ではない」と答えれば、そこで「藍染」を作っている人の生活を脅かすことにもつながりかねないからです。

 本物の藍染を復活させるため、自らも苦しい生活を余儀なくされた経験からにじみ出る優しさが汲みとれます。

時代がどれだけ変わろうと、藍染のもつ魅力は日本人の心をとらえて離しません。



栽培面積は700分の1に減少
 明治30年代、ドイツから安価で作業も簡単な合成染料が日本へ紹介されると、またたく間に普及します。

「3代目、つまり私の祖父も型染めをしておりましたが、当時は合成染料を使えない職人はダメだといわれておりました。それでも私が小学生の頃まで(大正13、14年)は、なんとか本物の藍を使っておりましたが、ついに断念しました。4代目(古庄氏の父親)は最初から合成染料しか扱っておりません。ですから私は、本物の藍染は全く受け継ぐことができませんでした」

 古庄さんは、一つの資料を取り出してきました。

「明治に入ってからも日本の人工の増加にともない、藍の生産料は増加していきました。明治36年、徳島県内での藍の作付面積は約1万5000ha、藍の加工業者も900軒ありました。ところがこの年をピークに、急激に減少していきます。ほらご覧なされ。現在は約22ha、栽培戸数80戸、加工業者はわずか5軒だけです」

 それでも昭和20年代に比べると、作付面積は増えています。藍が完全に姿を消さなかったのは、合成染料と併用して使われていたからです。8割がたを合成染料で染めておき、最後に藍を使って仕上げるのを「上かけ染」というのだそうですが、古庄さんは「メッキ染」と表現しています。


メニュー1 2 3 4 5 6 7 8 9次のページ