生き物が教えてくれる水の中の変化

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財政を水処理から見直す村

水質浄化に水草が果たしてきた役割

 手賀沼も印旛沼も面源系から流入する窒素やリンの量にあまり変化はありません。ただ面源系には森林などの自然系からと、田畑などからのものがあります。田畑は肥料として窒素などを施肥します。そこで千葉県では過剰な施肥の防止を呼びかけ、エコファーマーの認定促進、有機農業の推進、農業用排水路の管理・整備や農業用排水路の再編など、農地からの流出水対策をおこなっています。
 もともと多くの農家では台所からの排水を庭先に掘られた小さな池に溜め、上澄み水だけを放流していました。そして池に溜まった沈殿物は肥料に利用していました。風呂の残り水も掃除に使用したり、堆肥を作る時に使用するなどしていました。し尿は貴重な肥料として使われていました。つまり、かつては手賀沼や印旛沼を人為的に汚す原因はそれほど多くはなかったのです。しかも水生植物が水中の窒素やリンといった栄養塩類を吸収し、モク採りによって水生植物に蓄積された栄養塩類が運び出されたのです。つまり、湖沼へ流入する窒素やリンの量と、湖沼から取り除かれる量とのバランスが保たれていたのです。その結果、汚れの大半が面源系で占められていた頃は、水中の窒素やリンも、それほど多くはなかったといえるのです。
 昭和20年(1945年)頃は周辺の農家2,000戸によって、1年間で1万tものモク採りがおこなわれていたといわれています。その結果、現在の負荷量と比較して窒素の約10%、リンの約15%が印旛沼から取り除かれていたともいわれています。

国、県、市町一体となった水環境再生への取り組み

 手賀沼、印旛沼は流入する河川の流域も含め多くの自治体や利水団体が関係しています。しかも手賀沼は農業用水として、印旛沼は農業用水、工業用水、飲料水といった利水に使われるだけではなく、水害防止のための機能も持っています。
 昭和50年代半ばに北総線「千葉ニュータウン中央駅」が開業し、その後も北総線が延伸していくにつれ、沿線の人口は増大していきます。中でも手賀沼、印旛沼、利根川に囲まれた印西市は、経済誌が毎年、全国の市を対象におこなっている「住みよさランキング」で、2012年から連続して全国1位に選ばれています。この辺りは都市と農村が共存しているような環境で緑が豊富です。手賀沼は我孫子市などのシンボル的存在です。人口の増加とともに、生活排水処理対策として下水道整備と合併浄化槽の設置が進められました。印西市では合併浄化槽を設置したあと、市として放流水の水質検査を独自におこなっています。
 手賀沼や印旛沼は農業、工業、上水、観光、レジャー、洪水による災害防止など、様々な機能を課せられています。美しい手賀沼や印旛沼を復活させるという考えは同じであっても、例えば水位を一定に保つことに重点を置き過ぎると、水草にとっては必ずしも生育に適した環境になるとは限りません。そうした中、湖沼へ流入する汚濁負荷量を減らす取り組みのほか、流域で開発をする場合、面源からの汚れを減らし地下水を涵養させるため、雨水をできるだけ浸透させる浸透ますや透水性歩道の設置に心掛けるという印旛沼ルールがあります。
 手賀沼や印旛沼がかつてのように水草や魚の宝庫となるにはまだまだ時間がかかるかもしれません。それでも、国、県、市町が連携して取り組むことによって、いつかは昔のような姿を取り戻すことでしょう。

水辺環境だけを考えれば自然のままの岸辺が一番いいのでしょうが、利水や治水といったことも考えれば、ある程度の構造物も必要になってきます。

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