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生き物が教えてくれる水の中の変化

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生き物が教えてくれる水の中の変化

水草の茂る水面でサギやカワウなどの水鳥が、時々水面の下へ首を突っ込みます。エサを探しているようです。岸辺からは水の中を見ることはできませんが、どんな生き物がいるのでしょうか。

様々な環境の変化を教えてくれる生き物たち

 春に桜が開花となる時期はほぼ決まっています。ツバメが南の地方から飛んでくる季節、蝉が鳴き出す時期、生き物は季節によって活動を開始したり、停止したりします。
 植物や動物が生きていくには緯度や経度、高度、気温、光、地形、雨量、水辺、土質など、最適な環境条件があります。そこで生き物の動きから季節だけではなく環境の変化を読み取ることができます。湿地であった土地が乾燥したり、開発などによって森が失われたりすれば、それまでそこに生えていた植物が数を減らし、代りに他の植物が数を増やします。
 魚介類や水生昆虫などは水の汚れ具合によって数を増やすものもいれば減らすものもいます。そこにどんな動植物がいるのかによって、その場所がどういった環境なのかを教えてくれます。とくに身近にいて、こうした変化を読み取りやすい生き物を指標生物といっています。

周囲26.4km、平均水深1.7mの印旛沼の水は農業用水、工業用水、飲料水に利用されています。

水の汚れ具合の目安となる水生生物

 河川や湖沼といった水域では水の汚れ具合の指標生物として水生昆虫などが用いられています。環境省と国土交通省では昭和59年(1984年)度から小中学校や市民団体などの参加の下で、全国水生生物調査をおこなっています。
 全国のどこにでもいる水生生物約30種類の数や種類を調べることで、観察する地点の水質を(I きれいな水)、II(すこしきたない水)、I(II きたない水)、IV(大変きたない水)の4階級に分けて判定します。ただし、これらの生物がすんでいたからといって、その水が必ずしも、きれいとか、きたないという訳ではありません。きたない水の指標生物とされるミズムシはきれいな水の源流部にもいます。水がきれいである象徴とされるゲンジボタルも、意外にも、源流部のきれいな川から家庭排水が流入する田園地帯の里川まで、広くすんでいます。これらの指標生物はあくまでも目安であり、種類や数から水の汚れ具合を判定します。全国水生生物調査では全国のどこにでもいて、誰もが簡単に区別できるなどを基準にして選ばれています。生物指標は水がきれいか汚れているのかを知る目安としては簡単に利用することができます。子どもでも楽しめるので、水辺への関心を高めるにはいい方法です。しかし、その水がいつから汚れ始めたのか、なぜ汚れたのか、汚れる前はどんな生き物がそこにいたのかを知ることはできません。
 美しい水環境を取り戻すことは、単に水質をよくするだけではなく、本来、そこにすんでいた多様な生き物たちが暮らせる環境を取り戻すことです。そのためには、かつてはどんな環境であり、どのような生き物がすんでいたのかを知ることも大切です。

水質階級と指標生物の例
きれいな水(Ⅰ)ナミウズムシ、サワガニ、ヒラタカゲロウ類、カワゲラ類、ヘビトンボ、ナガレトビケラ類、ヤマトビケラ類、ブユ類、アミカ類、ヨコエビ類
すこしきたない水(Ⅱ)タニシ類、シマイシビル、ミズムシ、ミズカマキリ
きたない水(Ⅲ)カワニナ類、コオニヤンマ、コガタシマトビケラ類、オオシマトビケラ、ヒラタドロムシ類、ゲンジボタル
大変きたない水(Ⅳ)サカマキガイ、エラミミズ、アメリカザリガニ、ユスリカ類、チョウバエ類

水の中には石の下にも様々な生物がすんでいます。

かつては海の一部であった霞ヶ浦、手賀沼、印旛沼

 利根川は信濃川に次いで日本で2番目の長さを持ち、流域には日本の総人口の約10分の1にあたる1,300万人近い人が生活をしています。流域面積としては埼玉県の約4倍もの広さを持っています。
 利根川は群馬県、埼玉県、茨城県、千葉県の4県、25市14町1村を通過し、この間に多くの支流からの水を集めます。東京都内を流れる江戸川や中川は利根川の分流です。さらに利根川の下流域には日本第2の面積を持つ霞ヶ浦をはじめとし、北浦、外浪逆浦、手賀沼、印旛沼、牛久沼などの多くの湖沼が存在します。これらの湖沼は、もともとは一つにつながっていました。
 気候変動によって、過去に海水面はたびたび変動しています。いまから約9,000年前の縄文時代には、温暖化によって海水面が上昇していた時代がありました。そして霞ヶ浦や手賀沼、印旛沼の辺りは低地のため、海水が流れ込んで巨大な入り江となっていました。温暖化が収まると海水面は後退し、香取海という入り江ができました。1,000年ほど前の手賀沼は手下水海と呼ばれる香取海の入り江の一つでした。印旛沼も印旛浦と呼ばれる香取海の一つでした。つまり、霞ヶ浦や手賀沼、印旛沼などはもともと一つだったのです。
 江戸時代の初め頃に、それまで東京湾へ注いでいた利根川が現在のように銚子で太平洋へ注ぎ込むように流路が改修されました。その結果上流からの土砂の堆積なども影響し香取海はなくなり、いくつもの湖沼となりました。また、手賀沼はかつては「つ」の字の形をしていましたが、戦後の食糧増産や治水のため、昭和21年(1946年)から干拓事業が進められ、約4割の水域がなくなり北と南の2つの沼に分断されました。現在は北の沼を手賀沼あるいは上沼、南の沼を下手賀沼あるいは下沼と呼んでいます。2つの沼を結ぶ手賀川は分断される前の手賀沼の名残です。
 印旛沼もかつては「W」の形をしていましたが、昭和44年(1969年)に完成した干拓事業によって北印旛沼と西印旛沼にわかれ、総面積も半分になってしまいました。

今から1,000年前の手賀沼、印旛沼と霞ヶ浦の様子。利根川も現在の東京湾へ直接流入しています。(千葉県立中央博物館所蔵資料。協力:千葉県立大利根博物館)

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