水の話
 
海苔の育つ海

絶滅寸前のアサクサノリ
 海苔といえば浅草海苔が有名です。浅草海苔の名前の由来は紙漉きのようにして海苔をつくる方法が浅草から始まったとか、江戸時代の初め頃まで海であった浅草で海苔養殖が始められたからなど、いろいろな説があるようです。ところがアサクサノリとカタカナで表す場合は学問上で生物分類をするときの和名で、乾海苔に加工された食品としての名前とは区別されます。
海中の植物には海草と海藻があります。海草は陸上で一般に見られる草や木といった植物と同じように花を咲かせて種子をつくって繁殖します。陸上の生物はもともと海から陸へ上がり進化しました。ところが再び海に戻った植物がいます。海草もその仲間でアマモはその代表です。一方、海藻というのは藻類の仲間のことで、大雑把な言い方をすれば海の中で胞子によって増える植物です。コンブ、ワカメ、ヒジキ、ノリなどは海藻です。
かつては乾海苔の原料としてアサクサノリが使われ浅草海苔は乾海苔の代名詞として使われていましたが戦後の海苔需要の増大によって、傷みやすく病気にも弱いアサクサノリに代わり、成長が早く収穫量の多いスサビノリが海苔養殖の主流となっていきました。現在では、養殖海苔の100%近くがスサビノリとなっています。それどころかアサクサノリはどんどん姿を消していき、いまでは天然のアサクサノリは宮城県や熊本県ほか、ごく一部の地域でしか見つけることができなくなり、2000年には絶滅の恐れがある生物として環境庁のレッドデータブックに名前が挙がってしまいました。


産地の多くは遠浅の河口域
 海苔の主な生産地は、本州太平洋側の宮城県の松島湾、気仙沼湾、東京湾、伊勢湾、瀬戸内海、有明海などで占められています。日本海側では海苔養殖は行われていません。
最初に海苔養殖が始まったのは東京湾です。ノリヒビは水深が深い場所では立てられないので内湾の遠浅の海が主要な養殖場となっていました。その後も伊勢湾や有明海のような遠浅の内湾が海苔養殖に適した場所となり、養殖の中心はアサクサノリでした。
ところがこうした海苔養殖に適した遠浅の干潟は埋め立てによって次々と工業地帯へと変わっていきました。その一方で養殖技術も進歩していきました。かつての海苔養殖場ではノリヒビが立ち並び、海面の上に海苔網が海面上に姿を現している光景がよく見られました。1970年ごろにはタネ付けをした海苔が発芽して一定の大きさにまで成長すれば干出の必要のないことがわかり、支柱を使わない浮き流し養殖が始まりました。そのため、埋め立てなどによって消えていった海苔の産地がある一方で、新たに海苔の産地になった地域もあります。
海苔養殖がはじまった河口付近はタネが付着しやすい岩、アシ、川から流れてきた流木などがたくさんあったことなどが理由です。しかし浮き流し養殖によって河口以外のところでの海苔養殖が可能になった今でも海苔養殖の産地には内湾の遠浅の地域が多いようです。
波の穏やかな内湾 波の穏やかな内湾
海苔養殖が行われている場所は波の穏やかな内湾がほとんどです。しかも河川が流入し、上流から海苔の生育に必要な栄養分を運んでいます。
波の穏やかな内湾

出荷量

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