水の話
 
塩は日本中でつくられていた

いまも伝えられる昔ながらの塩づくり
 昭和30年頃になると、塩田に代わり、枝条架流下式と呼ばれる方式が現れます。これは枝の付いたままの竹を逆さまにして塀のように並べたところへ海水をかけて非常に濃い鹹水を得る方式です。塩の生産力も格段に飛躍し、重い砂を運ぶという重労働から解放されましたが、たくさんの人手を使う必要もなくなりました。こうして塩田は姿を消していきました。この方式もイオン交換法の出現により昭和40年代の半ばには姿を消してしまいます。しかし、日本中の塩田が全てなくなってしまったわけではありません。
三重県にある伊勢神宮では、神事に使う塩を昔ながらの塩田でつくり続けています。ここの塩田は海岸ではなく、五十鈴川(いすずがわ)の河口から1キロ近く遡った堤防の内側にあり、「御塩浜(みしおはま)」と呼ばれています。ここは海水ではなく川の水が混じった汽水です。海水だけよりも淡水が少し混じっている方がきめ細かい良質な塩ができるからということです。塩田でつくられる鹹水の濃度は淡水が混じっているためか17%と他地域の塩田でつくられていた鹹水よりも濃度が薄いようです。

御塩浜 マンガ マンガ 伊勢神宮では、いまも昔と変わらぬ方法で塩がつくられています。御塩浜と呼ばれる砂の敷き詰められた塩田で海水を乾燥させます。乾燥を早めるため、マンガと呼ばれる道具で時々砂を引っくり返します。
鳥居 海水をかける 乾燥した砂は沼井に集め、海水を砂の上からかけて、砂に付着した塩を塩水の形で集めます。(いずれも伊勢神宮・御塩浜にて)

海水 御塩殿 竃
沼井に集められた濃縮した海水は、御塩殿にある御塩焼所の竃で煮詰められて荒塩になります。この御塩焼所は建築史上貴重な様式である天地根元造りと呼ばれる構造です。その後この荒塩は御塩殿で焼き固められ堅塩が奉製されます。

いまも伝えられる昔ながらの塩づくり
 伊勢神宮で年間に使う塩は約160キログラムとそれほど多くはありません。そのため、塩づくりは毎年7~8月にかけて行われるだけです。ここでは昔ながらの方法で塩がつくられています。ただし、保管しやすいように、塩を三角形に焼き固め、神事に使用する都度、砕いて使います。おにぎりの形をした三角形の塩は、お浄めなどの神事に使われ、料理に使われることはありません。伊勢神宮の塩田が海岸ではなく五十鈴川のほとりにあるのは、たんに良質な塩ができるというだけの理由からでしょうか。五十鈴川は伊勢神宮にとって神聖な川です。日本では「水に流す」という言葉があるように、すべての汚れは川に流され、最後は海に至りきれいになるという考え方があります。海はあらゆる穢(けが)れをも内包しているのです。その海の水も塩の満ち引きによって一度神聖な五十鈴川に流れ込むことによって、穢れが浄化されるのです。神様に供える塩に、現世の穢れが含まれていてはならないのです。
五十鈴川
伊勢神宮を流れる五十鈴川の河口部分。この川は伊勢湾に注いでいます。伊勢湾の汚れは五十鈴川河口から少し遡った場所にある御塩浜の塩を汚すことにもなりかねません。

川の浄化は海への贈り物
 天然塩や粗塩を求める人が増えています。外国から輸入した岩塩を水で溶かし、それを天日で乾燥させた塩も天然塩や粗塩として売られています。四方を海に囲まれ、かつては日本中の海辺でつくられていた塩ですが、いまや昔ながらの方法で海水から塩づくりが行われているのは、ごく限られた地域だけとなっています。理由として、労働力やコスト面、あるいは塩づくりに適した浜辺の減少といったことがあげられます。しかし、それらの問題が解決できたとして、昔ながらの良質な塩づくりが可能でしょうか。
良質な塩をつくるには、何よりもきれいな海水が必要です。海をきれいにするためには、海そのものをきれいにする努力とともに、海へと流れる川もきれいにすることが大切となってきます。海からの贈り物としての塩が山へと運ばれ人々の暮らしを支えたように、今度は川をきれいにすることが、人からの海への贈り物となるのです。


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