水の話
メニュー1 2 3 4 5 6次のページ
 
美しい風景を創り出してきた自然のエネルギー
日本各地に伝わる羽衣伝説の中で、一番有名とされるのが駿河湾にある三保の松原です。駿河湾には他にも千本松原などが有名で、白砂青松の美しい海岸線を形成しています。砂浜はウミガメの産卵地としても知られています。一方、伊豆半島の西側に位置する海岸はリアス式海岸を形づくっています。

駿河湾奥にまで達する波のエネルギー
 日本列島の元は付加体によってつくられました。そして500万年ほど前にフィリピン海プレートと、太平洋プレートの境界線上にある伊豆諸島や小笠原諸島の一部であった島が本州に衝突し、伊豆半島にあたる陸地部分ができ、その結果、駿河湾がつくられました。そのため、駿河湾の東側は岩礁海岸、西側は砂浜海岸が多い地形になっています。風光明媚な湾岸は海水浴、釣、ダイビングなどレジャー客もたくさん訪れています。
ところが駿河湾の海岸線が浸食によって砂浜の縮小といった変化が起きています。羽衣伝説で有名な三保の松原のある三保半島は、安倍川によって運ばれてきた土砂が駿河湾内へ流れ込んだ黒潮分流によってつくられた砂嘴(さし)です。
駿河湾の西の砂浜は大井川、安倍川、富士川が供給する土砂によって形成されてきました。一方、湾内には黒潮の分流が流れ込むほか、外洋からの高波が湾の入り口から奥へと入り込みます。しかも湾口が広く開放性の湾のため、台風などによる高波はエネルギーを失うことなく湾の奥にまで到達します。こうした黒潮の分流や高波によって砂浜の砂は常に浸食されます。

松林
千本松原や三保の松原などの松林は、もともと防砂、防風などのために人工的に育てられたものです。ところが川からの砂の供給が減り砂浜が後退しつつあります。

松林


大河によってつくられた美しい砂浜

 駿河湾の西側沿岸部にはたくさんの松林がありますが、この地域に暮らす人々が長い年月をかけて植栽し、育ててきたものです。沼津市の千本松原も、もともとは防潮、防風、防砂のために農民が植えたものですが、戦国時代に戦さのため荒廃しました。その時、この地を訪れた旅の僧が潮風の害に苦しむ住民の姿を見て、1,000本の松を植えたと伝えられています。日本の原風景のような白砂青松の美しい景観は人によって築かれてきたのです。
羽衣伝説で有名な三保の松原にある天女が衣を掛けたとされる羽衣の松は樹齢が650年とされています。ところが1960年代頃からここの砂浜が浸食され松原が消失するのではないかと心配されています。国や県は離岸堤や養浜などの整備を進めています。
これらの砂浜は駿河湾へ注ぎ込む大河によって、山から絶え間なく流れ込む土砂によってつくられたものです。河川から供給される土砂の量と波などの力によって削り取られる土砂の量が同じであれば、砂浜が浸食され、海岸線が後退することはありません。ところが海岸へ運ばれる土砂の量が、運び去られる量よりも少なくなれば、砂浜の浸食が進みます。例えば大井川水系にある千頭ダムは2000年度の国土交通省の調査によると、有効貯水量のうち98%が砂で占められていました。河川から供給される砂の量よりも砂浜の砂を浸食するスピードがはるかに上回っているのです。
砂浜の減少は、先人たちが苦労して守り育ててきた松林にも悪影響を与えかねません。ウミガメの産卵場所もなくなってしまいかねません。松林は津波流速の低減にも、ある程度の効果があることが分かっています。



メニュー1 2 3 4 5 6次のページ