水の話
 
山へ入り魚を守る漁師たち
目の前をキタキツネが横切り、湿地に向かって歩いていきました。しばらくして口に魚をくわえたキタキツネが戻ってきました。この湿地は秋になると赤いサンゴソウで覆われます。時にはエゾシカの姿もみられます。上空にはオジロワシが飛翔することがあります。サロマ湖の周辺は、豊かな自然に包まれています。

原生花園を守るため町道を廃止
 サロマ湖とオホーツク海とを隔てるのは総延長25kmにもおよぶ砂州です。ここにワッカ原生花園が広がります。ワッカ原生花園は高原の中にいるような雰囲気をもち、春から秋にかけて300種以上の草花が咲き誇る日本最大の海岸草原です。原生花園の中に道はありますが、一般車両は通行することができません。通行できるのは、原則として徒歩、貸し自転車、観光馬車です。でも、かつては原生花園の中を町道が通っていましたが、オフロード車、マウンテンバイクなどによって植物群落が荒らされたり、貴重な植物が盗掘されたりしていました。
平成3年(1991年)、常呂(ところ)町(現・北見市)は原生花園を通る町道を廃止しました。町道の廃止は、毎年入ってくる地方交付税の減額につながります。それでも常呂町の人たちは大切な自然を守ることを選んだのです。
原生花園の中には自然の森と植林によってできた森があります。原生花園へ足を踏み入れて間もなくするとサロマ湖側に林が見えてきます。さらに進むと、オホーツク海側にも森が現れてきます。昭和57年(1982年)から63年(1988年)にかけてトドマツ、カシワナラなど13万本の木が植えられました。魚付き林として、あるいはオホーツク海側から入り込んでくる砂を防ぐ砂防林の役割も果たすために植えられたのです。サロマ湖に砂が入り込むと漁船が砂をまき上げホタテなどに悪影響を及ぼすからです。
魚付き林は森林法で定められた17種類ある保安林の一つで、正式名称は「魚付き保安林」です。明治30年に制定された旧森林法では「魚付きに必要なる箇所」と明記しています。
第2湖口を渡ると、その先にワッカの森があります。この森は原生林です。ワッカの森の中には沼があり、真水が湧き出しています。ワッカとはアイヌ語で「水のあるところ」を意味します。砂州の中ほどに真水の湧く沼があることから名付けられたのです。サロマ湖が海水になった今でも、淡水が沸き出しています。
ワッカの森の辺りでは、戦後の一時期、夏場になると馬の放牧が行われていたこともあるそうです。ワッカの森の対岸にはキムアネップ岬があり、3,000年ほど前までワッカとつながりサロマ湖は2つに分かれていたのです。キムアネップ岬にはサンゴソウの群落があります。サンゴソウはアッケシソウの別名です。秋になると赤いサンゴの群落のような光景が見られます。

ワッカ原生花園 ワッカの森
日本でも最大規模を誇るとされるワッカ原生花園。向こうに見える森は砂防林です。 第2湖口を渡りしばらく進んだ所にあるのがワッカの森。この森の奥に真水が湧き出る沼があり、それがワッカの語源になっています。

ワッカ原生花園
おとぎ話にでも出てきそうな巨大なフキが茂るワッカの森。

エゾノヨロイグサ ヒオウギアヤメ ハマナス エゾノスカシユリ ハマホウボウ
エゾノヨロイグサ ヒオウギアヤメ ハマナス エゾノスカシユリ ハマホウボウ

ワッカ原生花園
秋になると赤いサンゴのように見えるところから名付けられたサンゴソウ。初夏にスギナのような芽を出します。
(写真右:湧別町提供)


サケ・マスが遡上する命の川
 サロマ湖の周辺には常呂、佐呂間(さろま)、湧別(ゆうべつ)の3つの漁業協同組合があります。さらに3漁協によって設立されたサロマ湖養殖漁業協同組合があります。北の大地で厳しい自然環境と苦闘しながらホタテの産地を築き上げてきた人々は、自然の厳しさと同時に自然の大切さもよく知っています。ワッカ原生花園を守ることは漁師たちがサロマ湖や海を守る運動の延長でもあったのです。
サロマ湖周辺の漁師たちは、早くから水と山を守る活動を展開しています。佐呂間漁協が最初に森を購入したのは昭和34年(1959年)でした。日本の経済は今ほど豊ではなく、漁師たちの暮らしも楽ではありませんでした。また、乱獲によって漁獲高も減少してしまい、そこで将来に備えるため、という名目で約0.7km2の山林を購入し、トドマツ、カラマツを植林しました。しかし、漁師たちは山の手入れをするうちに、森林があるからこそ栄養豊富な水が湧き、川を潤し、サロマ湖を豊な漁場にしていることを確信するようになりました。
サロマ湖のすぐ東に流域延長120km、北海道第5位の一級河川、常呂川が流れています。昔からサケ・マスが遡上してきた生命の川です。昭和30年代、常呂川が工場廃水によって汚れたことがありました。そのため、サケ・マスの遡上が激減し、さらにオホーツク海へ流れ出た汚れた水はホタテをはじめとした魚介類にも被害を及ぼしました。常呂漁協はサケ・マス資源の回復を目指して立ち上がり、川の浄化活動を行いながら昭和37年(1962年)には常呂町内の山林約1km2を購入しカラマツを植林しました。この場合も将来に備えた組合の資産形成としての目的もありましたが、その一方で森が川を守るという考えがあったのです。


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