水の話
 
水の話-ビールの歴史と製造方法

下面発酵と上面発酵
 ところで、ビールと一口にいってもさまざまなタイプがあり、地ビールをよく見ると下面発酵とか上面発酵と記されているものがあります。これはビールの発酵過程で、酵母が炭酸ガスの気泡と一緒に発酵液の上へ上がってくるのが上面発酵で、酵母が下へ沈むのが下面発酵です。もちろん、酵母の種類も違います。

ビールの歴史を見ると、もともとは常温(約20℃)で発酵させる上面発酵が主流でした。このタイプのビールとして有名なものにイギリスのエールビールがあります。ところが、15世紀頃から低温(10℃以下)でじっくりと発酵させる下面発酵のビールが造られるようになりました。そして19世紀に、チェコスロバキアのピルセンで色も泡立ちも素晴しい下面発酵のビールが造られました。しかも、ちょうど冷凍機が発明され、低温による発酵が容易となったため、このピルセンタイプのビールがその後のビールの主流となっていきました。日本でもいわゆる大手メーカーのビールはほとんどが下面発酵で、ピルセンタイプのビールです。

安城デンビール 安城デンビール 麦芽は粉砕されて、釜の中で糖化されます。その後、麦汁に含まれている麦芽糖やブドウ糖が、酵母菌の働きでアルコールと水に分解されて、ビールが造られます。
写真:安城デンビール(株)

文明開花とともにやってきたビール
 日本では、いつ頃からビールが飲まれるようになったのでしょうか。江戸時代の亨保9年(1724)、オランダ人が持ち込んだという記録もあるようですが、ビールを飲んだという記録がしばしば見られるようになるのは、やはり幕末になって欧米諸国の人々が日本へやって来るようになってからです。そんな江戸時代末期、川本幸民という医学者がビールの造り方の書かれたドイツの化学書を翻訳し、実際に造ったともいわれています。これが事実なら、日本人による初めてのビール醸造ということになります。

そして商品としては明治2年(1869)、アメリカ人によって横浜にビール工場が造られたのが最初です。その後、全国各地でビールが造られるようになりました。これらビール会社で造られていたのは上面発酵のビールであったようです。ところが、工業化の容易なピルセンタイプのビールの製造によって、その後は資本力のあるビール会社以外はどんどん消えていったのです。
工場と残量計
左/ 地ビール工場の醸造設備。規模を小さくしただけで、大手ビール工場の設備と基本的には同じです。当然、1回に造るビールの量はわずかですが、それだけに、いつも新鮮なビールが楽しめるということにもなります。
右/ タンクに取り付けられた残量計。
写真:安城デンビール(株)


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