神話の森と日本一の清流

水の話 No.166 特集 神話の森と日本一の清流 伊勢神宮と宮川

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神々と共に流れる宮川

 

お伊勢さんの愛称で親しまれている伊勢神宮の正式な名称は「神宮」です。内宮と外宮があることは知られています。長い歴史によって培われた神宮は日本の聖地ともいえる雰囲気を保っています。

125もの宮社から成り立っている神宮

 神宮へ参拝する多くの人が必ず渡るのが五十鈴川に架かる宇治橋です。鳥居をくぐり内宮の参道をしばらく進み、河原へ向かって下ると、参拝をする前に心身を清めるための御手洗場があります。
 五十鈴川は神路山(かみじやま)、島路山(しまじやま)を水源とし、これらの山域は神宮が所有する神宮宮域林と呼ばれ、広さは約5,500haです。700年ほど前まで、遷宮に使う御用材は神宮宮域林から伐り出されていましたが、適材が減少したため、別の地域の山から伐り出されるようになりました。
 神路山、島路山では大正時代頃からヒノキの植栽をおこない、生態系に配慮しながら大切に育てています。平成25年(2013年)の式年遷宮では、宮域林のヒノキの間伐材など一部の木が700年ぶりに使われました。ただし、社殿など大きな柱に使えるようになるまでは、まだ100年はかかるということです。
 ところで、神宮には内宮、外宮の正宮の他、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)など、合計で125もの宮社があり、それらは伊勢市だけではなく、志摩市、松阪市、鳥羽市、度会郡(わたらいぐん)、多気郡の4市2郡の広範囲に置かれています。それらを全て含めたのが神宮で、その中心が内宮と外宮です。

式年遷宮を終えた伊勢神宮の外宮。写真手前の「空き地」に遷宮前の外宮が建てられていました。白い砂利は宮川から集められたお白石です。

遷宮で建て替えられる多くの建物

 伊勢神宮は20年に一度、式年遷宮がおこなわれます。遷宮とは社殿を新しく建て替えたり、神様に新たな社殿へお遷りいただく祭事です。このうち、定められた年ごとに遷宮をすることを式年遷宮と呼んでいます。出雲大社も平成25年に遷宮がおこなわれましたが、概ね60~70年ごとのため式年遷宮とは呼ばれません。式年遷宮は伊勢神宮のほかに宮城県の鹽竃(しおがま)神社、長野県の穂高神社、京都府の上賀茂神社などでもおこなわれています。
 伊勢神宮の式年遷宮は創建以来、ずっと20年ごとに続けられてきた訳ではありません。式年遷宮がはじまったのは持統天皇4年(690年)からとされています。その後、南北朝の動乱や戦国時代などで遷宮の時期が遅れたり、100年以上も途絶えたこともありました。
 式年遷宮で新しく建て替えられるのは内宮、外宮の2つの正殿だけではなく、14ある全ての別宮の社殿も建て替えられます。さらに神宝なども新調されます。

宇治橋を渡り、少し進んだ右手に御手洗場があります。五十鈴川は心身共に清める禊の場にふさわしい清浄な流れです。

遷宮の時に使われる宮川の白い石

 神宮の内宮には皇室の祖神とされている天照大御神(あまてらすおおみかみ)が祀られ、正式には皇大神宮(こうたいじんぐう)という名前です。内宮の横を流れているのは五十鈴川です。
 一方、外宮の正式な名称は豊受大神宮(とようけだいじんぐう)で、ここに祀られているのは豊受大御神(とようけのおおみかみ)という食物を司る女神です。外宮の西に流れているのが宮川です。
 宮川はもともと外宮(豊受大御神)の禊(みそぎ)の川であったため豊宮川と呼ばれていたのが、宮川となったとされています。宮川は日本でも有数な多雨地帯として知られる大台ケ原の日の出ヶ岳を水源として伊勢湾に注ぐ、延長91kmの三重県内で最大の河川です。ただ、昭和32年(1957年)、上流に洪水調整、灌漑、発電を目的とした宮川ダムが完成し、水源域に降った雨の多くは別の水系に作られた発電所へと導かれ、宮川本流へは大台ケ原の水はあまり流れ込んではいません。それでも大内山川や一之瀬川など多くの支流からの水を集め、豊かな流れを作っています。
 宮川流域には少し透明感のある白い石が見られます。この石は内宮、外宮、別宮の正殿の前だけではなく、別宮の社殿の前などに敷き詰められています。遷宮の2~3年前から宮川の河原でこの白い石が集められます。

125ある神宮の宮社の一つ志宝屋神社。周囲を人家や田畑に囲まれています。

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