山村の活性化と排水処理

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離れてしまった人の世界と水の世界

澄んだ空気に透き通ったせせらぎ、さわやかな風や小鳥のさえずり。都会から訪れる人にとっては自然を満喫できる山村ですが、過疎化が進んでいる地域がたくさんあります。そうした中、活性化を図ったうえで美しい水環境を守るために取り組んでいる村があります。

過疎地域に多い下水道未整備地域

 周囲を北アルプス、中央アルプス、南アルプスといった日本を代表する山脈で囲まれた長野県には、中山間地域がたくさんあります。長野県の汚水処理人口普及率は平成23年(2011年)度末で95.9%です。全国平均の87.6%を大きく上回り、全国順位は7位です。これまでに整備された地域の一人当たりの管渠の長さの平均は7.3mです。
 今後、下水道整備が予定されている地域の一人当たりの管渠の長さの平均は23.0mで、中には1,000mを超える地域すらあります。しかも、未整備の地域では人口の減少が続いています。未整備地域はもともと人口が少なく、しかも多くの地域で過疎化が進んでいます。下水道は基本的に使用料金を徴収することで維持管理されています。人口が減少しても維持管理費は変わりませんが、下水の量や維持管理をするための使用料金は減収します。しかも下水の量が減ったからといって、使用料金の値上げや処理場の縮小を簡単におこなうことはできません。その結果、自治体に大きな負担となりかねません。財政の負担が大きくなると、活性化のために必要な施策を打ち出すことが困難になりかねません。

長野県下條村は、一見すると日本のどこにでもあるのどかな中山間地の村です。

自立(律)宣言をした村

 緑に包まれた谷が見えます。天竜川です。その彼方に見えるのは南アルプスです。目を転じれば中央アルプスも見渡せます。長野県の南部に位置する下條村は人口約4,100人の、いわば全国のどこにでもある中山間地域です。
 下條村を通る国道から少し山へ入った高台の木々に囲まれた中に、式内社の大山田神社があります。式内社というのは、平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載されている神社のことです。創建された年は定かではありませんが、少なくとも、1,000年以上の歴史を持つ神社です。もともとここに祀られていたのは生産の神でした。つまり、古くから人々が暮らすための収穫をもたらしてくれる恵みがあったということです。室町時代から戦国時代にかけてこの地を治めていたのは村名となっている下條氏でした。
 江戸時代以降は静かで平和な村として明治を迎えます。現在の下條村は明治22年(1889年)、睦沢村と陽皐村とが合併して生まれました。そして養蚕が村の主要産業となっていきます。第二次世界大戦後の昭和25年(1950年)には、村の人口は6,410人を数えていました。ところが化学繊維が登場し、生糸の生産は大きな打撃を受けました。次第に村を離れていく人が増えていき、平成2年(1990年)には人口が3,900人を切ってしまいました。
 平成16年(2004年)の平成の大合併のとき、合併をしないで単独の村でいくという自立(律)宣言を打ち出しました。結果的に村として適正な規模を維持できることになりました。
 現在、村の総面積のうち森林の占める割合は約70%、原野が約5%です。平成7年(1995年)には36.4%を占めていた農林業などの従事者は平成22年(2010年)には24.3%にまで減少してしまいました。代わりに小売、飲食店、サービスといった産業の従事者が平成7年(1995年)の28.2%から平成22年(2010年)には45.5%と増加しています。

下條村にある大山田神社は平安時代の延喜式神名帳にも記載されている古い神社です。

都会の中でも広がる地域間格差

 日本全体が少子・高齢化といった課題にどうやって取り組んでいくのかが大きな問題となっています。しかもかつての様な高度経済成長は望めません。この状況は中山間地域だけではなく、都市部でも同じです。大都市でさえ、都市再開発の名目で駅前再開発やビルの高層化などを進めています。大都市の中でも地域間格差が広がっています。中小の都市へいけば、シャッター街と呼ばれるかつての商店街をいたる所で見ることができます。
 雇用創出のため、企業誘致をおこなったり、観光開発や地域の特産品による新商品開発など、どこの自治体もあの手この手で地域の活性化に取り組んでいます。ただ、経済が右肩上がりに成長し、若年層が増加している様な時代であれば、こうした努力によって地域の活性化は可能になるかもしれません。ところが現代は日本の人口そのものが減少へと向かっています。しかも人口が減少するだけではなく、若年層の人口比率が低くなっています。

人口が増えた「奇跡の村」

 いま沖縄県を除いて、全国の65歳以上人口が14歳以下の年少人口を上回っています。14歳以下の子の比率は全国平均で13%ですが、下條村では16%以上を維持しています。この数字は東京23区のいずれの区よりも高く、長野県内でも常にトップクラスです。一人の女性が一生のうちに出産する子どもの数を合計特殊出生率と言いますが、平成24年(2012年)度の下條村は1.73人で全国平均の1.39人を上回っています。以前は一学年1クラスのこともあった小中学校も、平成23年(2011年)からは、一学年につき2クラスとなっています。子どもの数も村の人口も増えている下條村は奇跡の村と呼ばれています。
 下條村が注目され出したのは、いまから20年ほど前です。きっかけは役場職員の意識改革の取り組みでした。都会から見れば小さな村ですが、周辺には人口が1,000人以下の村もあり、この地域としては中核的な存在です。少し離れた飯田市にあるホームセンターで全職員が物品販売の研修をおこない、接客の仕方やコスト意識を学びました。よりよい村づくりのためのサービスや、税金、国庫補助をどのように使うのかを職員全員で学びました。

若者定住のため、下條村が建てた集合住宅はこれまでに10棟を数えます。

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