水の話
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瀬戸内海の再生
島と島の間をさまざまな船が往き交います。大型貨物船もいれば小型の漁船もいます。遊漁船もいます。瀬戸内海は古くから交通手段や漁業の場として利用されてきました。そして、将来的には里海として、より多くの人に愛され、利用できる海にしようと検討が進められています。

埋め立てられ、消えていった自然海岸
 瀬戸内海には大小およそ700もの島が浮かび、海岸線の総延長は7,230kmにも及びます。温暖で雨が少なく、瀬戸内気候とも呼ばれ、かつては塩田による塩の生産が盛んでした。しかし昭和47年(1972年)から本格導入されたイオン交換膜によって塩がつくられるようになり、塩田は姿を消しました。
塩田のあった場所の多くは埋め立てられ、公園や工場などがつくられました。瀬戸内海から消えたのは塩田だけではありません。埋め立てによって干潟、藻場、自然海浜も消えていきました。明治31年(1898年)から平成21年(2009年)までに埋め立てられた面積は淡路島の面積の約70%に匹敵する457km2になります。このうちの80%近くが戦後になってから埋め立てられています。また、昭和48年(1973年)の瀬戸内法の施行によって埋め立ては抑制されるようになりましたが、それでも甲子園球場の3,000倍もの海が埋め立てられています。
瀬戸内海の平均水深は38m、広さは東西に約450km、南北は15~55kmです。海面の面積に比べ、水深が浅いことが特徴となっています。あたかも大きなタライに少しだけ水を張ったような感じです。海を浄化する自然のシステムである干潟や藻場などの消失と陸域からの汚濁負荷物質の流入の増大が同時進行をすれば海が汚れていくのは当然でした。

風景
瀬戸内には多くの塩田がありましたが、いまではほとんどが埋め立てられ、公園や工場になったり、中にはそのまま放置されているところもあります。


世界でもまれに見る好漁場

 かつて瀬戸内海は宝の海であったといいます。1970年代の瀬戸内海での漁業生産量を単位面積で比較すると、イギリスとスカンジナビア半島に挟まれた北海に比べ3.6倍、バルト海の9.3倍、地中海と比べると実に25倍もありました。世界的に見ても漁業資源の豊かな海であったのです。最近は当時に比べ漁業生産量は半減しているとはいえ、まだまだ世界的にも高い生産量を誇っています。
またカキやノリといった養殖漁業も盛んで全国の養殖漁業のうち、4分の1近くの生産量を誇っています。しかも養殖漁業は瀬戸内海の海面漁業生産量の約1.5倍にも達しています。
養殖漁業はいわば海の畑のようなものです。陸の畑であれば肥料を施して生産量を高めます。海の場合は魚介類などを育てる栄養分はもっぱら川を通って流入します。その栄養分の供給源は森林です。さらに川は土砂も海へ運びます。その土砂が干潟や美しい砂浜などを形成するために役立っています。
ところが日本が高度経済成長をしていく過程で、水資源の確保や治山などのため多くのダムや河口堰がつくられました。それらのおかげで多くの人が恩恵を受けてきたのは事実です。その一方で魚介類を育てる栄養分や土砂の海への供給が減少したのも事実です。


養殖の風景
瀬戸内海は海苔やカキなどの養殖漁業が盛んです。養殖漁業にとって大切なことが山からの栄養分の供給です。

森



瀬戸内海を里海に

 持続可能な社会が現代のキーワードとなっています。そのために自然との係わり方を捉え直そうという取り組みがおこなわれています。多様な生物の存在を尊重し、豊かな生態系を維持していこうというのも、持続可能な社会を実現していくために必要なことです。
自然はあらゆるものがつながり、循環しているのです。自然と共生をする事がなによりも大切となっています。瀬戸内海の豊かな海も美しい風景も、全ては自然が創り出してきたものです。
人は長い間自然からの恵みを一方的に受け取ることを考えてきました。その結果、海が汚れ、美しい風景も損なわれてきました。やがて海の汚れを食い止め、保全していくことが大きな課題となりました。しかし水質の保全だけではなく、生物の多様性を含めた自然環境を持続可能なものとすることの難しさが認識されるようになってきました。ただ、自然の多くはすでに人の手によって大きく改変されています。再び昔と同じ姿に戻すことは不可能です。護岸を取り壊し、埋め立てられて、人家や工場が立ち並んでしまったかつての干潟を掘り起こすことはできません。
そうした中、新たな発想のもとで取り組みが始まったのが里海による海の再生です。里海とは、人の手を加えることで生産性と生物多様性を高く維持する沿岸海域だとされています。人が改変した自然を、もう一度人の手によって改変することで再生するのです。



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